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ラジオブログ第三回「放送大学の地上波停止、説明責任を十分に果たせ」2016・9・14

ラジオブログ第三回を、文字に起こして、改めて以下にご紹介します。


 放送大学の存在は、ある程度認識はされていると思います。特に、関東地方では、地上波のテレビとラジオで放送大学の電波が出ていますので、ご存じの方も多いと思います。放送大学は、テレビとラジオを使って授業をする、通信制の大学です。
 私自身は、足掛け20年放送大学の学生として勉強を続けていて、この平成28年度で卒業まで手が届くところまできております。
 その放送大学の放送メディアは、かつては関東地方の地上波のみの放送でしたが、CS放送を使った全国放送が実現して、のちにBS放送での全国化に移行しました。
 この間、関東地方では、地上波のテレビ、ラジオの放送も平行して行われてきましたが、遂に、この地上波が電波を停止すると、放送大学から学生に通知が来ました。
 放送大学の地上波の停波について是か非か。私自身も思うところは色々ありますが、結論から言うと、最終的には認めざるを得ないとは思います。
 その理由ですが、まず、大学の運営資金が決して潤沢ではないということです。平成28年の8月上旬に、スクーリングのために東京の放送大学文京学習センターに行った時のことですが、いろんな掲示物やプリントから垣間見えたのは、資金的に相当苦しい中で運営されているということです。何か学生から要望があっても、二言目にはお金がない、この一言で終わってしまっている状況と推察されました。
 生涯学習の灯を消さないためにも、衛星放送への一本化で地上波の放送コストを切り詰められるのであれば、渋々でも承知するしかないのかな、と率直に思います。
 もう一点、放送授業について、学生はインターネットによるテレビ、ラジオの視聴が可能になり、パソコン環境があれば、極端に言えばスマホさえあれば、放送を録画しなくても、好きな時に何回も放送授業を見ることが出来ます。かつては、タイマー録画し損ねた場合、学習センターまでビデオを見に行く必要がありましたが、パソコンやスマホがあれば、録画の必要がありません。
 こうして見てくると、義務教育ではない以上、生涯学習の灯を消さないためにも、地上波の停波でコストを浮かせて、大学の存続を優先させることは、渋々ですが承知せざるを得ません。
 ここで私が、声を大にして言いたいことは、なぜ放送大学は、きちんとした移行期間を設けないで、学生に対して紙切れ一枚の通知だけで、こそこそ秘密裏に地上波の停波を急ぐのか、ということです。この急ぎ過ぎと説明不足については、きちんと時間をかけて丁寧に説明しながら、最大限の合意を得られてから停波しても遅くないです。
 おそらく、放送大学の学生募集の資料にも、地上波の停波の説明は、丁寧には書かれてないでしょう。下手をすると、記述がない可能性もあります。もし仮に地上波の終了を黙って学生募集していたら、それこそ詐欺そのものでしょうに。
 放送大学の地上波の停波については、地上デジタル放送に移行した時と同じくらいの丁寧な周知作業が求められると思います。間違っても、こそこそ秘密裏に強引に進めることは、厳に慎んで頂きたいと、強く申し上げて文を結びます。

ラジオブログ第二回「ルートインBCリーグは、地域貢献への回帰を」2016・9・5

Facebookに投稿したラジオブログを、文字に起こしてご紹介します。


まず、ルートインBCリーグとは何か、というところから簡単に説明します。
いわゆる独立リーグで、プロ野球12球団とは別個のものです。現在8球団あり、東地区と西地区に分かれて、二シーズン制で優勝を争います。2017年からは、栃木県と滋賀県が加わり、10球団になります。巨人の三軍などとの交流試合も多く組まれています。
ルートインBCリーグの東地区は、武蔵ヒートベアーズ群馬ダイヤモンドペガサス、福島ホープス、新潟アルビレックスベースボールクラブの4球団です。ここに、来季は栃木が加わります。

では、お客さんはどのくらい入っているのでしょうか。
私は、今でこそ埼玉県民で、地元の武蔵ヒートベアーズの応援に回っていますが、2013年までは群馬に住んでいて、群馬ダイヤモンドペガサスの試合をよく見ていましたので、ペガサスを例にして見てみます。
2008年のシーズンから参入したペガサス。元ヤクルトの秦さんを監督に迎えて、一年目から優勝争いに絡んで、二年目にはBCリーグチャンピョンになりました。更に、独立リーグのチャンピョンにあと一勝まで迫った、2009年のシーズンでした。
参入当初は、どう少なくとも一試合当たり千人を超えるお客さんを集めていたペガサス。三年目以降は徐々に動員が落ちてきて、秦さんが監督を辞めてからは、球場に閑古鳥が鳴く試合も多くなりました。
やがて、高崎の城南球場を本拠地にして、2014年には、元ヤクルト・巨人のラミレス選手を獲得して、飛躍的に動員は増えました。しかし、ラミレス引退のあと、再び動員は低迷して、千人を超える試合は滅多になく、500人にも届かないケースがほとんどで、2、300人入ればいい方です。
2015年から参入した武蔵ヒートベアーズにしても状況は似ていて、一試合当たり500人を超える動員は、滅多に見られません。

では、お客さんを増やすために、どのような手を打って来たのか、少し例を挙げましょう。
2014年にラミレスさんがペガサスにやって来たというのが、近年のハイライトでした。マスコミ各社が取材に来るなど、かなりの活性化をして、お客さんも増えました。
2015年から参入の福島ホープスは、元ヤクルトの岩村さんを監督に迎えて、上位に食い込む戦いを見せています。
プロ野球にいたスターを各球団とも獲っていて、元オリックスカラバイヨは、ペガサスで今も活躍しています。ベアーズの角晃多選手は、元ロッテです。
巨人の三軍など、交流試合も多く組まれているのも特徴です。

そういった各種の取り組みが、各球団、リーグ全体で行われてはいますが、動員は苦しいのが実情です。facebookYouTubeで、写真や動画をつけて情報発信に努めているケースがあるものの、一部のコアなファンは見てくれますが、一般のプロ野球に比べれば、まだまだ再生回数は少ないです。

結局、BCリーグの理念である地域密着、地域貢献に更に徹していって、地元のチームとして街に溶け込んでいく努力を、もっともっと選手各位、球団にしてもらうしかないのではないでしょうか。
僕が、今年2016年からベアーズのファンになったのは、埼玉県に住んで長くなり、地元のチームを応援したいという強い欲求があったからです。それも、選手と少しでも会話を楽しみながら、練習も見に行ってやりたい。そこまで満たしてくれるのは、やはり地元のベアーズしかありません。おらがチームという存在になって、固定客を少しずつ増やしていくこと。地道な作業になりますが、やるしかないと思います。

それから、我々ファンも、もっと独立リーグのことをSNSなどを使って、記事にしていくことです。普通のプロ野球と比べて、ネットを使っても、決して独立リーグの情報は多くありません。一人一人のファンが、とにかく地元のチームの動向を何でもいいから発信していくことで、草の根レベルの応援活動になります。

全ては地元のために、地元と共に。

ラジオブログ第一回「情報メディア、発信の個人化」2016・8・31

Facebookに投稿したラジオブログを、文字に起こして、以下にご紹介します。



かつては、テレビやラジオを楽しむ時は、情報は受け身で受け取るものでした。テレビのデジタル化で、データ放送などで双方向に近い工夫はされていますが、根本的には、普通のテレビ、ラジオは受け身で受け取るメディアです。

ところが、SNS、例えば、ツイッターFacebookなどが相当普及して、スマホもかなり普及した今日、スマホのカメラで写真を撮って記事をアップすることが、もはや当たり前のようになって来ました。考えようによっては、一人一人が新聞記者になりつつあるような、そのくらい個人の情報発信がやり易くなった、と申し上げていいでしょうか。

そして、スマホは、動画も撮影することが出来ます。スマホで手軽にビデオレポートを撮って、Facebookにアップすることが、簡単に出来るようになりつつあります。YouTubeやパソコンとの組み合わせで、動く画像で色んな情報発信が出来るという、個人個人がまるでレポーターや放送局のような存在とさえ言える状況も出て来ました。現に、ユーチューバーと呼ばれる人も少なくありません。いわゆるメディアの個人化が起きています。

これらのことが、私達にもたらしたもの、メリット、デメリット両方あると思いますが、はるかにメリットは大きいと思われます。まず、個人が大勢の人に対して、ダイレクトに色んな情報を発信出来るという点が大きいですね。今まで、放送局にメールや葉書で投書した時は、まず読まれるかどうか分からない上に、読まれても、かなり内容は集約、要約されてしまいます。つまり、選別と編集が付き物だった訳です。

他方、個人メディアは、編集は個人の自由で、ほぼ自分のいいたいことを生の情報として送り出せます。それは一方で、災害時のデマなどの副作用も生み出す心配はありますが、フィルターを通さない生のメッセージを届けることが可能ということです。

そう考えてくると、テレビやラジオなどのマスメディアと、個人メディアの垣根は、どんどん低くなっている、いや、垣根はなくなりつつあるとさえ言えるでしょうか。例えば、最近になって、個人がラジオのように放送を送り出せる「ツイキャス」というメディアも現れました。あまりに個人的なおしゃべりが多い上に、放送時刻がはっきりしないため、ラジオの代わりには完全にはなっていませんが、個人レベルでラジオが流せるようになったとも言える訳で、ツイキャスは新しい可能性を秘めているように思います。

個人メディアが、真に発信力を持つためには、結局、映像に頼っては限界があって、アナウンスやトークがしっかりしていて、初めて情報は見てもらえる価値を持ちます。考えてみて下さい。プロ野球のテレビ中継で、実況や解説者がいなかったとしたら、確かに映像と字幕だけで経過は分かりますが、果たしてコンテンツとしてどれだけの価値を持つでしょうか。ラジオの基礎の上にテレビの魅力が増すように、アナウンスやトークの力を少しでも磨くことで、情報の発信力は増すであろうことは、論を待たないと思います。

かくいう私は、ある群馬のFM局のアナウンスセミナーで一年間勉強した経験があります。コミュニティFMでボランティアとして演歌の番組をやった経験もあります。一応、最低限のアナウンスの基礎は身につけてきたつもりです。

果たして、個人の情報発信が、どれだけの新しい価値を生み出すのか。時代の変化に注目していきたいと思います。

ショートステイに異動して、丸3ヶ月経過しました。

前回の記事の通り、今の会社に勤務して一年半。異動になってショートステイの勤務となり、丸3ヶ月経過して、4か月目に入りました。

お陰様で、異動前にあれほど苦しんだ人間関係も、相対的には改善されて、本当、異動に救われました。全く問題がないという訳ではないですが、上司や同僚に相談しやすい雰囲気があり、その点は幸いです。

何より、今年の1月に受験した介護福祉士の試験に合格したことは、大きかったです。
 昨年は筆記試験には通りましたが、実技試験で落ちたので、今回は、高崎市の専門学校で技術者講習を受けて、実技試験免除にしておきました。身銭は切りましたが、その分、筆記試験に集中出来ました。

 受験対策で、昨年秋以降は猛烈に忙しかったですが、合格で報われました。これで、介護福祉士の資格手当てがついて月給が増えます。

 異動後しばらく夜勤はなかったですが、4月から月に4、5回のペースで夜勤に入っております。大変ですし、泊まる利用者様の顔触れによっては難儀しますが、これも、異動前に比べれば負担は若干軽いし、ほぼ定時で帰れるようになって、夜勤手当てがつくから、生活はリズムが落ち着いて来ました。

 さあ、あとはコツコツ働いて、次は放送大学の卒業が目標です。うまく行けば、平成29年の3月で卒業出来そうですし、そうなれば、大卒になるので月給が増えます。頑張ります。

転職してから、まもなく丸二年。お陰様で、介護福祉士の資格が取れました。

 はてなブログを、二年ほど放置してましたが、ようやく余裕が出たところです。そこで、この二年ほどの経過をご報告しておきます。

 2014年の8月15日をもって、埼玉県本庄市グループホームを辞めて、群馬県高崎市の介護施設に転職致しました。2013年の暮れに本庄市に引っ越したばかりで、埼玉県から群馬県へのマイカー通勤となり、今も県境をまたいでの通勤です。

 なぜ転職したのか。理由は色々ありました。人間関係、業務の過酷さ等々。最終的には、辞める直前の夏のボーナスの額が、手取りで10万を切ったのが決定打になりました。年収200万前後に落ち込んでは、満足な生活は送れず、慣れ親しんだ職場を断腸の思いで去った訳です。

 2014年の8月16日から、現在の会社に勤務しております。
 ただ、最初に配属された職場では、上司の雷は度々落とされ、同僚の態度もキツくて、仕事の評価も低くて、何度も前の本庄市の職場に戻ろうとしたくらいです。

 一年半ほど耐えて働いてきて、もうこれ以上は限界だと思い、転職活動を始めようとしたその矢先、2016年の年明け早々に、職場異動の辞令が出ました。ショートステイに異動になって、2016年の2月から働き始め、現在に至ります。

 この異動は、僕には渡りに船でした。苦しい職場環境を脱することが出来ました。ショートステイの職員は総じて優しい人が多くて、助かってます。まあ問題が全くないという訳ではないですが、仕事と割り切ってしまえば、どうということはないですね。

 そして、2016年の3月、介護福祉士の合格通知が届き、4月に介護福祉士の登録完了。晴れて、介護福祉士になりました。お陰様で、介護福祉士の手当てがついて月給が増えました。

 やっと落ち着きました。当分は、埼玉県本庄市に住み続け、本庄市から高崎市へのマイカー通勤を継続致します。

滋賀県移住計画は、一旦白紙に戻します。

滋賀県知事選挙が先日行われ、嘉田由紀子さんが後継として支援した三日月さんが、激戦を制しました。
それはそれで、僕が望む結果になりましたが、一万数千票の僅差であった上に、投票率の低さも浮き彫りになりました。

少なからぬ滋賀県民が三日月さんの対立候補に投票した。この事実について、僕自身が自分なりに消化しきれていません。どう解釈したらよいか、明確な指針を持っておりません。

しかし、これだけは断言できます。滋賀県移住計画は、一旦白紙に戻すべきであると。

チームしがと言いながら、県民世論が二つに分かれ、いや二分以上にバラバラになった現状で、仮に充分な蓄えがあったとしても、飛び込んでいく勇気は持ち合わせていません。

寧ろ、嘉田由紀子さんの出身地である埼玉県本庄市に、このまま住み続けるべきかどうか、こちらの方が問題です。実は、本庄市の職場をまもなく離れ、群馬の別の介護施設で働くことが決まっております。群馬から本
庄市に引っ越しした目的の半分は失われます。

嘉田さんとのご縁は残っていますが、嘉田さんのお姉さん(本庄市議)には、まだお会いしておりません。それと、僕が住んでいるのは本庄市とはいえ、旧児玉町です。旧市街地とは住環境も緑化の程度も違いがあり、児玉の方が住みやすいです。

当分は本庄市に残るとは思いますが、将来的に群馬に戻る可能性は、否定はしません。寧ろ、それが選択肢として浮上してきたと申し上げておきます。

滋賀県移住計画は、一歩後退

1ヶ月更新できなくて失礼しました。心身ともに疲弊しておりましたし、忙しかったです。

さて、表題の通り、滋賀県移住計画は一歩後退して検討を加えることに致します。

理由は、嘉田由紀子滋賀県知事の県知事選挙の不出馬にあります。始めに断っておきますが、嘉田さんの不出馬の結論は、支持者として尊重しております。その事はいいんです。

問題は、滋賀県の今の状況が、嘉田さんを間接的に不出馬に追い込んだのではないか、という疑念が拭えないということです。

予兆はありました。2月に、嘉田由紀子と歩む会の新年会が滋賀県で開かれ参加したのですが、参加者がやや少ない感じで、隣の席の女性の方も、それほど知事と接点なさそうで、たまたま参加されたのかな、という気がしました。つまり、嘉田さんの集まりに顔を出すな、という圧力が何かしらあったのかな、と思われました、誰がかけたか分からないですが。

しばらくして、日刊ゲンダイの記事を読んで、おや?と思いました。それは、自民党の集まりに招待された嘉田県知事に対して、自民の登壇者が知事交代を求めるような礼を欠いた発言があった、ということでした。(その段階で嘉田さんは選挙戦の出馬は熟慮中で、態度はまだ明確にしていませんでした。)

つまり、嘉田さんの県知事続投を望まない滋賀県民が少なからずいた、と推定せざるを得ません。

そんな状況で嘉田さんが選挙に出たら、県民を二分しかねない。おそらく、嘉田さんもそれは考慮されたと思います。県民の仲間割れを喜ぶ人はいません。

実は、嘉田由紀子知事は正月に、故郷の埼玉県本庄市に帰省されていました。(ご本人のFacebookに記事が残っているはずです。)僕は、これは次も立候補するかな、と思っておりました。しかし、五月の連休明けに結論は出てしまいました。

繰り返しになりますが、嘉田さんの県知事続投を望まない滋賀県民が少なからずいた、という事実は重いです。たとえ定年後に十分な蓄えがあったとしても、滋賀県に移住してそんな方々と仲良くやっていける気はしないです。

よって、僕の定年後の滋賀県移住計画は、白紙にはしないですが、一歩後退と申し上げて、文を結びます。