母の命日、3月12日。あれから17年。

1997年3月12日。僕は高崎の某病院の病室に泊まり込み、母とともに同じ部屋におりました。

午前3時ころ母の寝息を確認しましたが、そのあと一瞬眠ってしまいました。その間に、母は旅立って行きました。享年46歳。仲のよい親子が引き裂かれた瞬間でした。

その日のうちに高崎の自宅に、母は無言の帰宅。ご近所さんや親類が駆けつけて、慌ただしく時間が過ぎていったのを覚えております。

あれから17年経ちます。昨年暮れに本庄市に引っ越しして、新居で初めて迎える命日です。高崎の旧自宅はまだ残っていると思いますが、取り壊しが決まっていて、来年の今頃はもう無くなっているでしょう。

仕事で忙しくしていて、ゆっくり感傷に浸ることも出来ませんが、大震災の記憶とともに、生涯忘れることなど出来ません。ましてや、母方の祖母が亡くなったのが1998年3月11日。母を追うように一年遅れて旅立って行きました。この日付は、僕の魂に深く深く刻み込まれております。

孝行したい時に親はなし。

皆さん、身の回りの愛する人を大切になさって下さい。そして、愛する人を失った方々が沢山おられます。その方々の心に寄り添ってあげましょう。