ラジオブログ第一回「情報メディア、発信の個人化」2016・8・31

Facebookに投稿したラジオブログを、文字に起こして、以下にご紹介します。



かつては、テレビやラジオを楽しむ時は、情報は受け身で受け取るものでした。テレビのデジタル化で、データ放送などで双方向に近い工夫はされていますが、根本的には、普通のテレビ、ラジオは受け身で受け取るメディアです。

ところが、SNS、例えば、ツイッターFacebookなどが相当普及して、スマホもかなり普及した今日、スマホのカメラで写真を撮って記事をアップすることが、もはや当たり前のようになって来ました。考えようによっては、一人一人が新聞記者になりつつあるような、そのくらい個人の情報発信がやり易くなった、と申し上げていいでしょうか。

そして、スマホは、動画も撮影することが出来ます。スマホで手軽にビデオレポートを撮って、Facebookにアップすることが、簡単に出来るようになりつつあります。YouTubeやパソコンとの組み合わせで、動く画像で色んな情報発信が出来るという、個人個人がまるでレポーターや放送局のような存在とさえ言える状況も出て来ました。現に、ユーチューバーと呼ばれる人も少なくありません。いわゆるメディアの個人化が起きています。

これらのことが、私達にもたらしたもの、メリット、デメリット両方あると思いますが、はるかにメリットは大きいと思われます。まず、個人が大勢の人に対して、ダイレクトに色んな情報を発信出来るという点が大きいですね。今まで、放送局にメールや葉書で投書した時は、まず読まれるかどうか分からない上に、読まれても、かなり内容は集約、要約されてしまいます。つまり、選別と編集が付き物だった訳です。

他方、個人メディアは、編集は個人の自由で、ほぼ自分のいいたいことを生の情報として送り出せます。それは一方で、災害時のデマなどの副作用も生み出す心配はありますが、フィルターを通さない生のメッセージを届けることが可能ということです。

そう考えてくると、テレビやラジオなどのマスメディアと、個人メディアの垣根は、どんどん低くなっている、いや、垣根はなくなりつつあるとさえ言えるでしょうか。例えば、最近になって、個人がラジオのように放送を送り出せる「ツイキャス」というメディアも現れました。あまりに個人的なおしゃべりが多い上に、放送時刻がはっきりしないため、ラジオの代わりには完全にはなっていませんが、個人レベルでラジオが流せるようになったとも言える訳で、ツイキャスは新しい可能性を秘めているように思います。

個人メディアが、真に発信力を持つためには、結局、映像に頼っては限界があって、アナウンスやトークがしっかりしていて、初めて情報は見てもらえる価値を持ちます。考えてみて下さい。プロ野球のテレビ中継で、実況や解説者がいなかったとしたら、確かに映像と字幕だけで経過は分かりますが、果たしてコンテンツとしてどれだけの価値を持つでしょうか。ラジオの基礎の上にテレビの魅力が増すように、アナウンスやトークの力を少しでも磨くことで、情報の発信力は増すであろうことは、論を待たないと思います。

かくいう私は、ある群馬のFM局のアナウンスセミナーで一年間勉強した経験があります。コミュニティFMでボランティアとして演歌の番組をやった経験もあります。一応、最低限のアナウンスの基礎は身につけてきたつもりです。

果たして、個人の情報発信が、どれだけの新しい価値を生み出すのか。時代の変化に注目していきたいと思います。